講師紹介
Aristの講師紹介
福岡市の家庭教師・online個別指導塾「パーソナルコーチ Arist」代表・鈴木裕人の経歴やプロフィール、そして、生徒の皆さんや保護者の方へのメッセージをご紹介します。
「Arist」は年齢を問わず、“学びたい”すべての方を応援する家庭教師・online個別指導塾です。福岡市、筑紫野市、久留米エリアで家庭教師をお探しなら、ぜひ当社までご相談ください。
また、「Arist」では現在、ともに生徒の学習をサポートする仲間を募集しています。少しでも興味をお持ちの方は、まずお気軽にお問い合わせください。
鈴木 裕人(すずき ひろと) 1989/10/10
名前の由来は、恐れ多くも昭和天皇陛下である裕仁天皇からとられ、人にやさしくという意味です。
ここでは、少し長くなりますが自己紹介をさせて頂きます。
私は、中学・高校のころからずっと学校の教育について疑問を抱き続けてきました。そして大学生になるころには、私が抱えたような不満を皆が抱かなくて済む学校を作りたいという夢を抱くようになりました。その夢を抱きはじめて10年ちょっと。形は違いますが家庭教師・個別指導塾と言う形で表現することが出来ました。
では、私はどのような不満を抱いていたのでしょうか。少し私の子供時代を振り返ります。
中学時代私は県内でも学力が高くない中学に通っていました。1学年300人中10番台の成績でした。ところが、中3になって、有名な進学塾の入塾テストを受けると、なんと偏差値は32でした!笑 びっくりしました。しばらく現実を受け止められませんでしたが、その塾に通うようになり授業を聞いて、テストを受けて解説を聞いてと繰り返すとどんどん成績が上がり、クラスが上がり、明善高校C判定まででました。ところが私はここで安心しきってクラスを下げてしまい、結果、もう一つ偏差値帯が下の滑り止めの私立に進学することになりました。高校では、成績は全然伸びず、高2の時点で理系なのに、化学は赤点ギリギリ42点、物理は赤点の36点でした。理系でこれではまずいということで代々木ゼミナールでTOP講師の授業をうけることにしました。そしたらびっくり!面白いは楽しいはでずっと物理と化学をやっていました。この2科目に関しては偏差値が70越えまでいきました。ですが2科目できたところで大学進学は難しく浪人しました。浪人するからには国立も視野にと親から言われていました。面白ければ勉強できると分かった私は、講義系の参考書を買いあさりました。(講義は高いためそんなに沢山取れません)そこで現代文・古文・漢文・英語・数学・政治経済と沢山学びました。良くも悪くも、塾が放任してくれたために、好き勝手勉強していました。つまり、大学合格という短期的な目線で行くと大失敗です。オーバーワークを各科目で行っていました。ところが、長期的な目でみると、この塾の時代に好きに勉強していたため、勉強が面白く楽しくなったため、大学生になっても、社会人になっても勉強をやめませんでした。大学では自主的にプログラミングや確率思考、東洋哲学や儒教・仏教、心理学、部活を通してリーダーシップや組織論などを勉強しました。(大学は応用科学科です。あんなに苦手だった教科に進学する、できるというのも不思議な話ですよね。)社会人になってからは、営業手法や顧客心理、マーケティング、経営戦略、歴史・宗教・哲学・政治・国際関係や地政学など、多岐にわたることを勉強しつづけました。結果的にこのAristという家庭教師・個別指導塾にたどり着き、自分で経営するにまでに至りました。こうした出来事を通して子供の頃から不満をやっと言語化できました。子供頃から抱いていた不満とは、実は沢山の問題点が複雑に絡み合った結果、漠然とした不満と言う形になって表れていたのです。
例を挙げてみましよう。
・学校の授業がつまらなすぎて役に立たないこと
・高校に進学するためのテストと授業が乖離していること
・塾の方が勉強が圧倒的に面白いこと
・なぜ受験するのか良くわからないこと
・なぜ勉強が必要なのかよくわからないこと
・テストと人間を育てる勉強とでは全く内容がちがうこと
・現実社会で生きることと学校の勉強とのつながりがないこと
・勉強しても幸せになれる人なれない人がいること
・得意や苦手などを均一化して個性をすりつぶすこと・・・・・
挙げたらきりがありませんでした。もっと沢山あると思います。これらなんとも言えない、答えが出なさそうな問題が沢山絡み合い、不満となるので、上記の例は今の子供達もよく口にする疑問です。